今では「撮り鉄」と称して、煌びやかな鉄道写真が世の中に出ているが、ここでは昭和40年前後(1965年前後)の旧国鉄時代の電化される以前に走っていたSL(当時は一部マニアでシュッポと呼ばれていた)と今のカラフルな車体が出る前の暗褐色の下駄電と称する電車が走っていた戦後間もなくのJRになる前の記録を順不動に載せている。鉄道写真や音源はネット上に多数あるが、半世紀以上前、鉄道は全国に張り巡られており、各地の社会インフラは鉄道に依存しており、そのインフラを保持する凛とした現場の職人気質が、思い起される。半世紀程前、北海道の今は無き天北線の「飛行場前」という小さな無人停車場から稚内へ行った事があるが、今ではその木造のプラットホームは朽ち果て、それ以前には忌まわしい歴史が有ったことを知ることになる。

2023/5/27記入

 最近、昔の様子を復活させ、レトロ復活を売り出すことがあるが、昔の鉄道を知るものとして、単に列車を復活させても、下記に違和感があり、あまり喜べない。

1・汽車、列車がその当時のものであっても、観光で人寄せのために、空調が儲けられ、座席   

 も座りやすくなっている。当時の状況と異なる。

2・駅舎、保安装置、踏切装置当は最新のものに安全上変えられており、鉄道添いにある通信  線もケーブル化され、昔の多線通信と異なる。当時の文化とかなり違う。

3・その線路を地元民が殆ど利用しておらず。車が通れる立派な道路が鉄道の代わりをしている。

4・列車が通るレールの音はほぼ昔と同じでこれは懐かしい。

 昔の鉄道はその地区を代表する交通インフラであった。